著者:Jon.Kraft
筆者は一つ前までのブログで、電子制御式のフェーズド・アレイ・システム(ESA:Electronically Steerable Array)に関する話題を取り上げていました(最初のブログはこちらからご覧いただけます。また、そのシリーズ記事は一つ前のブログで完結しています)。その中では、シンプルなビームフォーマを独自に構築する方法なども紹介しました。そのビームフォーマは、ソフトウェア無線向けのアクティブ・ラーニング・モジュール「ADALM-PLUTO」をベースとしていました。このモジュールは安価なので、この話題に関心のある方にとって手軽に利用できるツールになるでしょう。しかし、同モジュールはアンテナ素子を2つしか備えていません。そのため、同モジュールを使ってできることは限られていました。
そこで、今回からは「EVAL-CN0566-RPIZ」について詳しく解説していきたいと思います。これは、アナログ・デバイセズがリリースしたばかりのフェーズド・アレイ向け開発プラットフォームです。このプラットフォームは「Phaser」という名前でも知られています。このPhaserを使用すれば、より実用的なフェーズド・アレイ・システムの実現に向けて様々な検討を行うことができます。上述したように、デジタル・ビームフォーマの機能を提供するADALM-PLUTOは、アンテナ素子を2つしか備えていません。それに対し、Phaserの様々な機能を使用すれば、ビームフォーミングとレーダーに関する様々な実験を行うことができます。
ビームフォーマについてご存じない方のために、ビームフォーマとは何なのか、なぜ必要になるのかということについて簡単に説明しておきましょう。ごく簡単に言えば、ビームフォーマを使用する目的は、アンテナを物理的に動かすことなく、放射するビームの操作を行えるようにすることです。以下に示すレーダーの画面は多くの方にとってなじみ深いものでしょう。
この測定結果は、レーダー・ディッシュ・アンテナを回転させながらビームを生成することによって得ています。
ここで、アンテナを機械的に動かすのではなく、ビームを電子的に操作することによって掃引を完了できるとしたら、どのような違いが生まれるでしょうか。その場合、ビームを素早く(ほぼ瞬時に)任意の方向に向けることができます。また、それぞれ異なる方向をターゲットとする複数のビームを生成することさえも可能になります。
なぜ、ビームフォーマが必要とされるのかはご理解いただけたでしょう。では、どのようにしてそれを具現化すればよいのでしょうか。基本的な考え方は次のようなものになります。まず、複数のアンテナをアレイ状に配置します。その際には複数のアンテナを1本の直線上に並べるか、または2次元プレーン上に間隔を空けて並べることになるでしょう。各アンテナ素子のタイミングについては遅延が伴います。そのことを考慮しつつ、各素子のビームを1つの方向に向けて合算すると共に、それ以外のすべての方向については互いに打ち消し合うようにします。
この理論は難しいものに感じられるかもしれませんが、実際にはそれほど難しくはありません(こちらのブログで、この理論について説明しています)。ただし、その実装は難しい可能性があります。ESAで生じるすべての問題について理解するには、非常に多くの時間を要するでしょう。そのことも踏まえて、ビームフォーマについて学ぶための最良の方法は、実際に回路を構築して実験を行うことです。なぜなら、「シミュレーションはあなたが尋ねた質問に答えてくれる。実験は、あなたが尋ねようとも思わなかった質問に答えてくれる」からです。これは当社で長年設計に携わってきたPaul Brokaw氏の言葉です。
では、どのようにしてビームフォーマの実験を始めればよいのでしょうか。ADALM-PLUTOは、ビームフォーマの動作を理解する上では役に立ちます。ただ、先述したとおり、アンテナ素子が2つしかないので、できることは限られています。そこでアナログ・デバイセズが新たにリリースしたのがPhaser(EVAL-CN0566-RPIZ)です。
Phaserは、スイッチド・トランスミッタと8つのアンテナを備える受信用のアレイです。基本的には10GHz~10.5GHzに対応して動作します。ただ、外部アンテナを開発して接続すれば、8GHz~14GHzの任意の周波数に対応することも可能です。システム全体のブロック図は以下のようなものになります。
Phaserのプリント回路基板には、受信用のアンテナ・アレイが実装されています。8つの受信アンテナは、それぞれ1列に並んだ4つのアンテナ素子で構成されています。全体として見れば、8つのアンテナが均等の間隔で並ぶ線形のアンテナ・アレイとして機能します。
8つの受信アンテナは、広く使用されているビームフォーマIC「ADAR1000」によってそれぞれ個別に制御されます。制御の対象になるのは、RF周波数(すなわち、約10GHz)信号のゲインと位相です。ADAR1000は、送信と受信の両方に対応できます。ただ、Phaserではコストを低く抑えるために受信側だけを使用しています。ADAR1000の目的は、各アンテナで受信した信号の位相とゲインを調整することによって、それらの信号を所望の方向にコヒーレントに結合できるようにすることです。
2つのADAR1000の各出力は、ADALM-PLUTOによってデジタル・データに変換されます。ただ、ADALM-PLUTOが対応可能な最高周波数は6GHzです。そのため、まずは10GHzの周波数信号を、ADALM-PLUTOが対応できる周波数範囲にミックス・ダウンする必要があります。この処理は「LTC5548」というミキサーによって行います。また、ミキサーを使用するには、そのLO(Local Oscillator)ポートを駆動するための周波数源が必要です。このLO信号は、フェーズ・ロック・ループ(PLL)ICの「ADF4159」とVCO(Voltage-controlled Oscillator) ICの「HMC735」を使用し、Phaserの基板上で生成します。なお、ADF4159は、周波数変調されたチャープを生成することができます。基本的なビームフォーミングにはチャープは必要ありませんが、Phaserを使用するレーダー・アプリケーションでは、チャープを使用できると非常に便利です。
Phaserでは、OUT1とOUT2の2つのポートから10GHz~10.5GHzの信号を送信することができます。これらはスイッチド・ポートであり、受信側のような位相同期チャンネルではありません。ただ、スイッチド・チャンネルを使用すれば「バーチャル・アレイ」と呼ばれるものを構成することが可能です。これについては、今後触れる機会もあるかと思います。
ここまでに紹介した要素をすべて組み合わせると、フィールド・アレイの実験に使用可能なコンパクトで使いやすいプラットフォームを構成できます。下の図は、そのプラットフォームの概要を示したものです。
Phaserを使って学習した内容は、すべてより現実に近いビームフォーミング・ソリューションに適用できます。そうしたソリューションの例としては、アナログ・デバイセズの「X-Band Phased Array Platform」や「QUAD-MxFE Platform」などが挙げられます。
今後は複数回にわたり、様々なビームフォーミング技術を対象とし、Phaserを利用した実験方法について解説する予定です。具体的には、グレーティング・ローブ、ビーム・スクイント、モノパルス・トラッキング、ヌル・ステアリング、FMCW(Frequency Modulated Continuous Wave)レーダー、レーダー目標検出などの技術を取り上げます。また、PhaserがESAの設計に向けた適切な出発点となることも明らかにします。Phaserを利用すれば、イノベーティブな発案からプロトタイプ開発を経て製造に至るまでの工程を円滑に進めることができます。